2回目のお手入れに行ってきました
驚くほど暇なはずだった私のスケジュールは、一本の電話から真っ黒に埋まり、気力も体力も限界を感じるような状態で羽田空港に向かったのが朝7時。
搭乗する少し前に「焼き魚定食500円」の朝食をとり、機内でコーヒーを飲み、眠る。荷物が少ないのが唯一の救いだったかも。
友人のYanと新千歳空港に降り、お約束の「味噌ラーメン」を食べながらYanのダイエット宣言を聴く。ずいぶん説得力のない宣言だが、これは案外大事な宣言だった。
少し早めにホテルのチェックインを済ませ、30分かけて二人でこの一泊二日のスケジュールの作戦を立てる。やりたいことを羅列すると。
・おばあちゃんのお顔のお手入れ(前回よりも時間をかけたい)
・おばあちゃんの耳掃除と爪のお手入れもしたい
・おばあちゃんの指先からひじ、足のつま先からひざまでをきれいにしたい。(前回は手だけだったから)
・お母さんのお顔のお手入れもしたい
前回の反省を踏まえ、道具はすべて持参できた。
水筒に熱湯を入れて病院でほっとタオルを作る算段もできてるし、タオルは肌触りのいいものばかりを選んできた。今回はエプロンも持参。自分の服も汚さないで済む。
おばあちゃんやお母さんの髪を止める「針金入りバンダナ」も持ってきた。聖子ちゃんのコンサート会場で買っやつだけど。もちろんコットンもフェイスマスクも・・・
あ~~~!!フェイスマスクがな~~~い!!
とにかく今日の予定は、「病院に行っておばあちゃんの耳・手・足をきれいにする」ことに集中するため、フェイスマスクの準備は先延ばしになった。
時間を立体的に考えると、同時進行したり時間を削減してどこに費やすかを必然的に考えるようになる。
Yanに「5時にはホテルに帰ろう」と約束したが、結局6時まで病院にいた。
さて。病院に行ってみると。
おばあちゃんの病室は移動されていて、おしゃべりで元気で明るいおばあちゃんたちが同室の、とても賑やかなお部屋になっていた。
「あらま。さっきまでおしゃべりしてたんだけどねぇ」とお向かいのおばあちゃんが教えてくれたが、我々のおばあちゃんはすっかり眠ってしまっていた。
容赦なく(笑)、お手入れの準備を始める。
テーブルに、爪のやすり、爪きり、クレンジング(レモン)、ひまわりのオイル、タオル、綿棒、ティッシュを用意。
初めに爪を切ったり整えたり。うん。ガタガタもこれならキレイ♪とやっていたら…
「血!!」
おばあちゃんの爪を切り過ぎてしまい、出血してしまった。
あれこれ同時進行したかったYanの手は、ひたすらおばあちゃんの止血に費やされました。意味ないじゃん!!
耳掃除は目が覚めてからにしよう、ということで、手のお手入れから開始。
寝ているおばあちゃんの手にドボドボとクレンジングとオイルをのせてマッサージを始めた。
各腕10~15分位ずつのマッサージをして、タオルで拭き取る。
うわ!カサカサで粉をふいていたおばあちゃんの手は、つやっつやのキラッキラになりました。
両手が終わったら両足。寝てるのか起きてるのか、微妙なところのおばあちゃんの足をぎゅっとだして、つま先からマッサージを開始。こちらもクレンジングとオイルで。
つま先、足の指の間、足の裏、足の甲、くるぶし…とだんだん上に上がっていき、ふくらはぎへ。
「長生きしたければふくらはぎをもみなさい」という本が書店に並んでいたのを思い出し、自己流で申し訳ないけど、モミモミしながら足のお肌をきれいにした。
つやつや~~♪
するとYanは、「ねぇ。クレンジング貸して。おばあちゃんのひざ、やってもいい?」と聞いてきた。゚+.(ノ。・ω・)ノ*.オオォォ☆゚・:*☆自分で何かしてあげたいと思うようになったか!素晴らしい!
Yanの心の成長を喜びつつ「いいよ~」と返事すると、私の見様見真似でやりだした。
私だってまりちゃんの見様見真似である。まりちゃんにこの姿を見せたかった。
おばあちゃんの足までお手入れを終え、耳掃除をして今日のところは完了。
おばあちゃんに「明日はお顔のお手入れをさせてください。」とお願いして、「明日は2時過ぎに来ますね。」と約束をした。
おばあちゃんは喜んでくれました。「明日ね」と手を振ると、おばあちゃんも手を振り返してくれた。あ~~・・・感動・・・
手稲駅から札幌駅に帰り、晩御飯に出かけたが、ここでは割愛。Kattz EYE!
二日目。
10時にチェックアウトをした私たちは、まっすぐ手稲駅へ。
おかあさんとの待ち合わせをしている途中でローソンによる。「資生堂アクアレーベルモイストチャージマスク」を2つ購入。マスクだけ必要だから、ついている化粧水なんかは全部洗い流せばいいのだ。
お母さんと合流。
こんな午前中から時間を空けてくれるようなことなんて、今までなかったのに、今日は洗顔だけしたどすっぴんのお顔で登場。そしてすごくテンションが高い。
お母さんのお顔のお手入れに取りかかった。
クレンジング→ホットタオル→ひまわりのオイル→マッサージ入念にマッサージ→ホットタオル→ウィートジャームマスクでパック→しばらく待つ。
ここまでの間、ずっとテンション高いおしゃべり。お母さんはずっとしゃべっていた。
しかもここでトイレタイム。「いつもの10倍くらい出たわ。すごいわ。」とのこと。
ホットタオル→さっきの「資生堂のフェイスマスク」をお湯できれいさっぱり洗い流し、ゼロの状態にして、サンダースの化粧水「コスメティックローション」にドボドボと浸らせる。→それをお顔に乗せて広げ、更に上から化粧水を足す。→しばらく待つ→化粧水がどんどん浸透→どんどん浸透→マスクを外します→ここで秘密兵器投入!
!説明しよう!「秘密兵器」とは、「サンダース プレミアムマスク」のことで、「マシマロスキントニックとウィートジャームビューティーパルムが存分に含まれた、最高級保湿マスクなのだ!!
この秘密兵器をお顔に投入→15分待つ→触るとまだヒタヒタなのに、勇気を持って取り外す→カレンドラオイル→ハネボガードビューティークリーム→非売品の保湿クリーム→日焼け止め
で、出来上がり♪
まだどうしても手際が悪いので、2時間近くかかってしまいました。パウチはどうしても苦手だ…Yanにはパウチをハサミで開ける係をやってもらいました。
うわ~ なんだこの疲労感は!!まりちゃん、これを一日に何人もやってるのか!尊敬します。すごすぎです。
私はどうしても一息つきたかったので、どこかでコーヒーを飲みたいとお願いしました。
3人で車に乗り込み、発進すると・・・虹!!!!
車に乗る直前にお空の太陽さんからエネルギーを補充してもらいました。
その時にはわからなかったのだけど、太陽を背にして車が走り出すと、雨雲が分厚く浮か空に、大きな虹がかかっていました。太陽が雲に隠れるまでのほんの数分でした。
私たちは車内で歓声を上げ、通行人の見知らぬおばあちゃんに「虹だよ」と叫び、じっと虹を見つめました。労ってもらっているような、ほめてもらえたような、感動でした。
その後、お母さんとYanと3人でモスバーガーに入り、「釧路のザンギバーガー」と「コーヒー」で一休みしました。
コーヒーを一口飲み干す頃、お母さんのほっぺの赤みが取れてきて、どんどん白く、どんどん透明感が出てきました。なんだか、一つの芸術作品を仕上げたような気持ちになって、私の顔は何も変わらないのに、誇らしい気持ちになったのです。
お母さんは本当に喜んでくれました。うれしすぎです。
さて。14時。病院の面会時間です。3人で、いざ、出陣!!
今日のおばあちゃんは起きて待っててくれました。脳のCT検査も終わり、午後はお手入れに十分時間を取れそうです。
おばあちゃんも「待ってました!」な雰囲気。すごくいい感じです。
お母さんにお願いしてベッドを少し移動し、頭の真後ろに立てるスペースを作ってもらいました。
「では。おばあちゃん。よろしくお願い致します。」
エプロンが黒いので、まるでソムリエの私。いえいえ、今日は美容部員ですわよ♪
クレンジングでお顔と首までをきれいにしまして→ホットタオル(Yanはこのホットタオルを作る係w)→ひまわりオイルで首までの全体をマッサージ。さっき太陽さんからエネルギーを補充してもらったので、そのエネルギーがおばあちゃんの生命力になるよう願いながら、くるくるとほっぺたをマッサージ。大きめのタオルをホットタオルにしてお顔に当てると、おばあちゃんは「あ~~気持ちいい~~」と一言。
うれしっすう。
そしてまた、化粧水パックをするために資生堂のマスクを洗い流し、ゼロに戻して、改めてコスメティックローションをドボドボ注いでパック。更にコットンに化粧水を浸して首元へパック。
しばらく待ちます。
途中、看護師さんが「あら、エステですか。いいですね。私もやってもらいたいわ♪」と声をかけてくれました。「いいですよ~」と言うと「でも高いのよね。エステって。」と言われました。更に「温泉でエステしてもらったら6000円もしたのよ。もう無理だわ~。」と。これは、遠まわしに私たちへ嫌味を言っているのだと思います。
私は「それはきっと技術料が高かったのかもしれませんね。すごくよかったんじゃないですか?私は材料費だけなんで2100円です。」と言い返してみた。
ごちゃごちゃ批判して出ていってしまった。
そーか。看護師さんのジェラシーは想定外だったなぁ。
化粧水パックの次は、お母さんと同じ「秘密兵器」を投入。ここで更に15分。
どこではかってたのかわからないが、この秘密兵器のパックを終えて顔からはがすと、2人の看護師さんがやってきて、「はい。出てってください。」と追い出されてしまった。
体重を計りに来ただけらしいけど、まさか財布も持たせてもらえず追い出されてしまったので、途方に暮れる我々。そう。我々3人とも追い出されたのだ。家族すらも!
しばらく車の中で待機し、それも飽きて、受付のあるフロアで自動販売機のカップのコーヒーをYan のポケットの小銭でおごってもらった。ぶつくさいいながら(笑)
もうそろそろ戻ってもいいでしょう、と30分弱で病室に行くと、おばあちゃんが不安そうな、申し訳なさそうな顔して待っていました。おばあちゃんのせいじゃないのに。
おばあちゃんの心配を払拭するように「うわぁ~ これだけでおばあちゃんすっごいきれいになりましたね♪」と声をかけて、保湿の続きをしました。
カレンドラ→非売品の保湿クリーム→日焼け止め。
どこでハネボガードを入れたのか、もう忘れてしまった。とにかくショックが大きくて。追い出されたことに。
すっかりきれいになったおばあちゃんのお顔をご本人に見せたくて、Yanに鏡を渡しました。Yanはおばあちゃんの動く方の手に持たせると、「あとは自分でやって」と言い放つ。おい。せめてちゃんと持たせてあげなさいよ。
きれいになったご自分を確認したら、今度はお母さんの出番です。
「ばあちゃん 大根煮たよ。食べるかい?」とまだあったかいタッパーを開けて、おばあちゃん口に大根を突っ込む。
おばあちゃんは無言でもぐもぐもぐもぐ。ごくんとのんだら口を開けて、大根をまた突っ込まれ、もぐもぐ。まだ飲み込んでなくても先走ったお母さんが大根を口に持っていくと、口に入っているのに口を開け、もぐもぐ。
そういえば、昨日までは、栄養ドリンクの缶ジュースしか飲んでなかったのよね。お食事レポートには「梅干し」「ジュース」としか書いてなくて、おばあちゃんの食欲は待たなくなっちゃったんだなぁと心配していたのだけど。
大根と人参の甘く煮たやつ。ペロリっと完食。一緒に煮たこんにゃくはYanがペロリ。
お母さんはおばあちゃんの好物とYanの好物を良く覚えていて、お手入れをしている間に自宅に戻って煮物をあっため直し、持ってきてくれたのだった。
もちろん、私にも勧めてくれた。これがお母さんの感謝の表現なんだと思います。
健気だな。モテるわけだ。多くの男性がこういうかわいいところに惚れたんだろうな。
お母さんにおばあちゃんの耳の中にある大きな塊がとても深刻だから、大げさにドクターに相談してくださいと伝えました。
おばあちゃんには、「Yanのスケジュールがあかなくて、1月の半ばくらいになったらまた来ます。私は暇なんですけど、やっぱり二人で来ないと。あ、でも、Yanはダイエットするって言ってますから、1月に来るときには痩せてるはずです。楽しみにしててください。」と告げると、おばあちゃんは思わず笑った。
でもとてもさみしそうだったので、「もし、お手入れしてほしくなったらいつでも呼んでください。お母さんは私の連絡先知ってますから。いつでも来て、お手入れさせていただきます。今日もお手入れさせてくれて、ありがとうございます。」と告げた。
私たちは、片づけを済ませると、同室のおばあちゃんたちにも挨拶をして、風のようにJRに乗って帰りました。
空港で、Yanが「咲さんにお世話になったから、このコーヒーを買ってあげたいの。」と、5年連続1位になったという高そうなコーヒーを買ってくれました。
皆で感謝の気持ちがくるくるッとまわって伝わった瞬間だな、と思ったのでした。
新千歳空港なう
これからかえります
この飛行機じゃないけど(笑)
ハロウィンのお話
イベント会社のK岡さんによりますと、
ハロウィンは年々、エスカレートしてきているそうですね。
渋谷とか六本木とか、コスプレとお酒で町中がすごいことになるそうで。
そもそもハロウィンで、ケルト民族の伝統ですよね。
北欧辺りを中心に、民族はキリスト教の文化に追いやられて散り散りになったそうですが、
文字を持たないので文献も少なく、
どちらかというと語り継がれてきているそうですが。
ハロウィンとしてお祭りになっている10月31日は、
ケルト民族にとっては大晦日。
一年のねぎらいや豊穣を祝ったり、日本の大晦日と少し似ていて、
新しい年を迎える感謝とか、そういう、少し厳かな気持ちもあったみたいです。
この日をめどに奴隷は解放されたそうですが、
今のいうところの、労働者の休暇期間のようなものでしょうかね。
それぞれ、実家というか、ふるさとに戻って来たりして、家族一緒に過ごすそうなので、
この辺りはクリスマスに似ています。
11月1日が元旦で新しい一年が始まるわけですが、天体を見てみると、理に適っているように思えます。
ケルト民族は、もともと死を恐れない強い精神力を持っていました。
それは、「死」は、あの世にちょっと行ってくるだけで、また誰かの赤ちゃんになって生まれてくることができるから、「死」は、いうなれば里帰りに似たような感覚を持っていたようです。
死を恐れないため、他民族と闘ったとしても、勝利を収めることは多かったみたいですね。
更に、「死」が身近であると同時に、「あの世」も身近だったようです。
あの世とこの世は、空間にある膜を破ればすぐ行き来できると考えられていて、
死もあの世も、今の私たちでいえば、ちょっと出かけてくる、と言って玄関の扉を開けるような、
気軽な感覚があったようです。
大晦日のことをハロウィンと称したのか、別の人が言いだしたのか、ちょっと忘れちゃいましたけど、
10月31日の大晦日の日没から、11月1日の元旦の日の出まで、あの世とこの世の境目がなくなると考えられていました。
なので、日が暮れたらあの世からだ~っと里帰りする霊がやってきたり、自分もウッカリあっち側へ行っちゃったりすることもあったり。
そこで、お化けのコスプレをして、あの世から帰ってきた人たちの仲間に扮して、あの世に戻る霊たちが人間を連れて行かないようにしたんだっけかなぁ。
そのコスプレがハロウィンと呼ばれていたような気がします。
英語の文献を咲が自分で翻訳したものを朗読ライブで朗読していたので、以上は今の私の中の記憶に残っているものです。
うるおぼえのところもあるし、結局、言語で残っていないことが多いので、10月31日の深夜、もしケルト民族の誰かが身近に戻ってきたら、聞いてみるといいかもしれませんね。
口パクはアリかナシか?
テレビ「5時に夢中!」という番組で、中尾ミエさんとホリエモンさんの意見が二つに分かれていました。
テーマは「(歌手の)口パクはアリかナシか?」
中尾さんは「ナシ」、堀江さんは「アリ」と答えていました。
二つの意見は平行線で、論点がかなり遠いところで相違をおっしゃっていたので、どういうことなのかな?と考えてみたいと思います。
=「アリ」の立場で考える=
「アリ」という方は、「それでパフォーマンスが上がりビジネスになるならそれでいい」という意見が多いように思われます。
科学の進歩や時代の変化によって、音楽世界にも目覚ましい変化がおきています。
楽器の音も人の声もコンピューターなどを用いたマシンで自由自在に加工ができます。
それによって助けられている方も多いのではないでしょうか。
わかりやすいのが『効果音』ですよね。
若いころ殺陣をメインにしたアクションショーの司会をよくやりましたが、剣がぶつかる『シャキーン』とか、おなかをグーで殴って『ドスッ』とか、相手の右肩から左腰にかけて斜めに斬る『ドピュッ』て血が吹き飛ぶ音とか。
そういうのを「SE機材」を使ってボタン一つで出していました。
スーパーの屋上のロープで囲われただけのステージで行われる戦いシーンに、臨場感が増してヒーローはカッコよくうつります。
でもそのヒーローたちが「エイ!」とか「ヤー!」とか「くらえ!」とか、そういう声は、手の空いている人が自分でステージの裏から覗き、役者の演技に合わせて声を出していたのです。
ここはいわゆる、アナログ作業でした。それは毎回異なる演出に耐えうる機材や音声の素材がなかったからです。
その1~2年後、飛躍的に革新する技術のおかげで、そういう戦いに必要な音声も録音され、まるで司会のお姉さんとも会話をしているような演出が実現されました。
歌じゃないけどこれはまさしく「口パク」です。演技しているのに本人がしゃべっているのではなく、音源がしゃべっているのですから。
着ぐるみ業界ではよくある話です。これで演出効果が上がり、お客様もより一層の臨場感を味わってハラハラドキドキし、精一杯ヒーローを応援し、最後は「君の声援のおかげだよ」なんてヒーローに言われて舞い上がり、握手をして興奮冷めやらぬ日々を送る。
これはやはり、ビジネスとしては素晴らしいのではないかと考えるのもごもっともです。
何故なら、このセリフや効果音の音源と機材さえあれば、このステージは大量生産できるからです。役者は誰でもよくなり、観客がそのヒーローと心を一つにした疑似体験さえあればそれで成立するのです。
音楽の世界ではどうでしょうか。
一つ一つ楽器を持ち寄り素晴らしい音楽作品を完成させ、それを録音する。そして、本人がその音源をCDやらMDやらなにやらのファイルにして持ち歩く。
プレイヤーとスピーカー、マイクさえあれば、その場所がコンサート会場になるのです。
楽器を弾くミュージシャンもハーモニーを聞かせるコーラス隊も、すべてCD音源の中に入っています。連れて歩く必要はありません。それなら人件費も要らず、設備も要らず、歌手が歌えばそれでいい。
なんと手軽なのか。これは「コンサート会場」が大量生産できる、という風に考えても良いのではないかと思います。
ではその音源の中に歌手の歌声も一緒に吹き込んでみましょう。コンピューター機材の力を借りて、その歌声がとても美しく聞こえるように加工します。
これはそのまま音楽CDとして、今では常識の一つのようになって販売されています。
購入して家に帰れば、いつでもどこでも、その美しい歌声や音色が私たちを幸せにしてくれます。素晴らしいことです。
さて。あるコンサート会場にて。その録音された本人の歌声に乗せて、本人は声を出さず口だけ動かしています。魅了する振付と演出にドキドキしている客席では、本人が口パクかどうかすら忘れ、その音楽と観る演出の視覚効果に感激しています。
例えばポールダンスやエアリアル。例えばジルバやサンバの振付。例えばイリュージョン。
その曲のイメージやテーマに合わせて繰り広げられる派手な演出は、既にもう、口パクかどうかなんて忘れ去ってしまった。
これは、堀江さんのおっしゃっていた、「それでパフォーマンスが上がればいいんじゃない?」ということなのかな、と思います。
但し、この歌手の場合、このような演出をしながら正しい発声で正しい音程を保ちながら歌の世界を表現できているのか?となると疑問です。
しかしそこは誰も求めていないのかもしれません。歌詞や音楽の繊細な部分は録音されている完璧な歌声の音源で自宅で楽しむことができるのだから。
いいえ。そもそも、そういう「歌唱力」は必要ありません。加工修正され美しい歌声になっている歌の音源をスピーカーから流し、あたかも歌っているように見せれば、それはそれで、ダンスや演出に集中しても心配いらないのです。
歌手も人間です。風邪をひくときもあれば、二日酔いの日もあるかもしれません。
何かの理由で声が思うように出ない日もあるでしょう。それでも口パクができれば、
コンサートは休まなくていいのです。
音楽の世界をもう一つ手軽にし、娯楽の域をはるかに拡大させた、一つの進歩が「口パク」なのかもしれません。
そう考えると、確かに、パフォーマンス全体として満足させてもらえるのであれば、歌手が本当に歌っているかどうかなんて、小さな小さなことなのかもしれません。
=「ナシ」の立場で考える=
事実、歌手として大活躍している中尾ミエさんは、「絶対ナシ!」と仰っていました。
パフォーマンスをとても重視されているような日本のPOPS界で、大変素晴らしい歌声を持っているアンジェラ・アキさんという方がいます。そのアンジェラ・アキさんのコンサート映像を拝見したら、武道館の客席にぎっしりとお客様がいて、武道をやるあの真ん中の板目の床のところにピアノが置かれ、ポツンとアンジェラ・アキさんご本人が座っていました。
360度見上げる角度でお客様がいて、その、まるで竜巻の渦の一番下にいるような場所で、圧倒的な存在感を持ったアンジェラ・アキさんが、一人残らずお客様を魅了していました。たった一人で。
そこには、ポールダンスもイリュージョンもありません。歌声一つでした。
自分でピアノを弾き、自分の体から声を出して、歌いあげていました。
そこにあったものは、『感動』です。
はたまた、オーケストラのコンサートでは、お楽しみコーナーのような演出で観客を楽しませてくれますが、特にど派手な演出というよりは、やはり一人一人が奏でる「音」を耳を澄まして楽しむ、という、「音楽を知っているからこその楽しさ」を味わえます。
アイドル『モーニング娘。』さんは、「口パクをしない」というこだわりがあり、どんなに激しいダンスをしていても、絶対に口パクはありません。
そのせいか、息を切らしている音もマイクに入ったり、歌を一生懸命うたってダンスの振付を全力で表現するあまり骨折したり、というハプニングも今までにありました。
そんな娘さんたちを観に行く観客の方たちは、毎回異なる息遣いに気づいたり、歌っている一人一人の、その日の心境や、同じ曲でも昨日と今日で微妙に訪れる変化などにも気づいたり、そういうところからもその楽曲の素晴らしさを体感しているようにも見受けられます。
また、「歌唱力」と言われる音程やリズム感の正確さ、滑舌の良さ、歌詞一つ一つを伝える表情、抑揚…これを生で観て感じることで、より一層その楽曲の世界に引き込まれていきます。
つまり、「歌唱力」は千差万別であり、すべての歌手が様々な歌唱力をもって音楽を表現する。せっかく目の前にお客様がいるなら、今持っている自分の歌唱力に更に磨きをかけ、『自分』よりも「音楽」を伝えたい。だから、「この歌手じゃなくっちゃ!」という特別な存在として、唯一無二の歌手が誕生するのでしょう。
そういうところに価値観を置いてみると、「口パク」は「ナシ」になるかな、と思います。
逆に言えば、「歌唱力」が「音楽で得られる感動」を引き起こす原動力になっており、その歌手がどのような「歌唱力」を持っているかによってその音楽から得られる「感動」の種類や質や重さなども異なり、聴いている人はどのような感動を求めているかによって好みや相性が分かれる。
レベルの高い「歌唱力」を持っているほど、観客や聴く人たちの求めているものは何かを問わず広く応えていくことができる。
それは「芸術」という分野の一部にも入ることができる。
そんな風に考えると、やはり、「歌手」という職業を選ぶ人には、それなりの歌唱力は備えていてほしいし、歌の世界を十分に味わわせてほしいと思う。そんな時に「口パク」で演出されてしまうと、どの程度の歌唱力があるのかわからないし、もちろん「音楽で得られる感動」は得られないと思う。
=咲の結論=
「ケースバイケースでニーズに応えればよし。」です。
「口パク」は歌唱力以外で何かを表現する時に、音楽を一つのアイテムとして用いられるのにとても便利で手軽なものです。
口パクは「感動<娯楽」「音楽<パフォーマンス」「歌唱力<演出力」という式となり、どちらを求めるかによって「アリ」にも「ナシ」にもなります。
ただ、「歌手」という職業であるならば、「歌唱力」で勝負してほしい。
「口パクでもよし」であるならば、「歌手」ではなく「パフォーマー」という職業だと考えるのが良かろうと思います。
あの激しいダンスをしながら難しい楽曲を歌いあげるモーニング娘。を見ていると、「あれ?口パクしなくてもやればできるじゃん?」と思ってしまうことがあります。
歌唱力を鍛えられるので、卒業後にミュージカルや歌手を続ける人もいます。
一人になると「歌割」という概念がなくなるので、派手な演出や振付よりも、しっかり「歌う」ことに重視するようになるようです。
口パクで演出にこだわっていた歌手の人は、もはや「初音ミク」さんなどに代表されるようなボーカロイドに市場を奪われれしまうのではないかと思ってしまうこともあります。 それはそれで、その市場がにぎやかになって、「キャラクター重視」の人にとってはこれ以上の面白い勝負は無いのかもしれません。
歌唱力を持ちつつ「見せる」歌手になってくれたトップバッターは、ピンクレディーだと思います。レベルの高い歌唱力を持ち、どのような楽曲でもその音楽の世界を表現してくれました。振付も衣装も度肝を抜くものが多かった。
そんなピンクレディーは「感動」もくれました。歌唱力は圧倒的な実力があるのです。
音楽に対する考え方、価値観が大きく変化してきました。「口パクは認めない」という人もいらっしゃるようですが、それはあくまでも「歌手」としてとらえているからではないかと思います。
音楽の世界でも、ロックは音楽じゃないとか、デスメタルは認めないとか、オペラなんて、とか、お互いが受け入れがたい価値観を持っていてぶつかることもあります。
それでもそれは、やはり千差万別であり、好きか嫌いか、合うか合わないか、その程度なのではないでしょうか。
過去にある女性タレントさんのイベントの司会をしました。モデルからグラビア、ちょっとセクシーな写真集とアイドルみたいに音楽CDまで発売されていて、その写真集の発売記念イベントで司会をしたんです。きれいな方で男性ファンがつめかけました。30分のトークショーを2回行いましたが、その中で最後に歌を歌ったんです。
「歌入り」の音源が音響スタッフさんへ渡され、イントロが流れ、歌いだしましたが、マイクの音はゼロまで下げられ、そう、口パクでした。
その口パクは・・・歌詞を覚えていないために口の形と歌があっておらず、発声していないから笑顔でやりすごされ・・・「口パクです」と言っているみたいでした。
そうきたか~~と思いましたが、それでよかったそうです。そういう方もいるんです。なぜならその人は、歌手じゃないからです。ご自身で「私は歌手じゃないから」とはっきりおっしゃるのだから、全く問題ありません。
そういうことです。
一言メールに困惑
一言メールを何通も送るのって、今の流行り?
遊びに行く約束をした友人から、当日の朝メールがきました。
- イメチェンしてます
- ヘアーカットにきました 後でメールします...
- カラオケいこう
- おなかすいたね
- ランチする?
と、立て続けに5通のメールが送られてきたのです。
そもそも、「イメチェンしてます」という報告をされてもなんのことだかさっぱりわからない。
美容院いってメイクをしてネイルサロンいって新しいお洋服を買っているのか?
てことはあと3時間はかかるから、今日は会うのは無理?
なに?どういう意味なの?
と、困惑していたら2通目。
あらそうですか。美容院にいるということね。さて、それはどこの美容院?
約束の場所の近くなのか、その人の家の近くなのか?
進捗はどれくらいであとどれくらいでおわるのか?
気づいていただけましたか?
私は、「何時にどこ。今日は何時までOK。」ということを知りたいのです。
ランチの前にカラオケなのか。
カラオケの前にランチなのか。
それもわかりません。
全てのメールを受信した後に、
「待ち合わせ場所はいつものところね。1時ごろになるのかな。軽くPRONTOでスパゲティでも食べて、カラオケに行きましょうか。」
と尋ね直しました。
二度手間だよね。どちらにとっても。
その人は「そうしましょう」と返事をくれましたが、約束の時間が近づいてきてまたメールが来ました。
- ヘアーカット終わりました
- これから電車に乗ります
- 1時につきます
3回に分けてメールを受信しているので、1回目ですぐ返信を作るとすぐ受信。今作っていたメールを破棄して2通目を確認すると情報がやはり足らずまた返信文を作成。その最中にまた受信するのでまた破棄して確認し、また返信を作成。
「了解です。1時少し遅れるかもしれません。ついたらメールします。」
メールを何度も破棄して作成していると作業が止まってしまうので、支度が遅れます。
2分遅刻してしまった私ですが、無事に合流しました。
彼女は何も感じていませんが、私は何度も二度手間にてこずってイライラしています。
それでも腹がふくれれば機嫌も直るかな、とまっすぐPRONTOへ行きました。
彼女は「先に食べる?」と聞いてきましたが、先のメールでおなかすいたとか言っていましたし、「そうしよう」とだけ返事をして入店しました。
食事を済ませてまっすぐカラオケに行こうとすると、今度は「ケータイのケースを買いたい。ビックカメラに行きたい。」とのこと。
私には用事がないビックカメラを案内して、30分の買い物に付き合いました。
別にいいよ。それくらい。いいもの決まってよかったね。
やっとカラオケに到着し、気が済むまで歌ってしゃべって。
3時間パックにしたので時間を気にせず歌っていたのですが、私の選曲のイントロがかかった瞬間、「もう帰ろうかな」と言いだした。
慌ててその曲をキャンセルし、最後の一曲にしようと思っていた曲を入れ直して熱唱し、帰ることにしました。
なんだか勝手な人だなぁと思いつつも、改札まで見送り、私は一人、デパ地下で買い物して帰宅したのです。
帰宅後、メールが来ました。
- 今日はありがとう
- お風呂に入ってスッキリしました
「そうですか。良かったね。こちらこそありがとう。やっぱり、私もそうやって一言ずつメールを分割して送った方がいいですか?」
と返信しました。
彼女からの返事。
- 別に
- どっちでもいいよ
- ガラケーだとやりにくいよね
なぜ分ける?この文章をなぜ分ける???
もう、お願いしました。
「すみません。返信しにくいし二度手間になるので、一回のメールにまとめてください。」
彼女から「いいよ」とだけ返信がありました。
私の中には イライラだけ残ったのでした。
あしながおじさんと呼ばれて
「どこのあしながおじさんですか。」
とツッコミを入れられた時のエピソードです。
まだ20代のころですが、あるイベントの会社でタレントとして所属していました。
入った時はまだ19歳でしたが、何年かいると後輩もできるものです。
あるとき、まじめでよく働く心の美しい後輩ができました。名前はアルファベットを入れて、O麻とします。
O麻はかわいい後輩でしたが、ある日、札幌に帰郷するということで退職しました。
先輩としては何もしてあげられないまま、送別会で30人くらい集まったところに合流して、でもほとんど話もできないまま、O麻は札幌に帰郷しました。
それから15年以上経過したある日。札幌出身の劇団主宰者でありタレントのKさんと、ひょんなことから知り合いになりました。東京で一旗揚げたくて、団員を置いてまずは自分が東京で仕事や人脈を持ち、いずれ大泉洋さんのようになりたいとの事でした。
ところがそのKさんも、札幌に帰郷してしまいました。
私はそのKさんの劇団が公演する時には、よくお花を贈ったり、クリスマスツリーを贈ったりして、観に行けない分、東京からお祝いをしていたのです。
ある日、そのお礼にとお手紙が送られてきました。制作スタッフさんが主宰のKさんの代わりに送ってくださったようですが、そこには「O麻H美」とありました。
もしかして?15年以上も前の記憶をほじくり出して必死にいろいろ思い出し、もしやもしやの気持ちでKさんに尋ねたところ、かつて後輩だった、あのO麻だったのです!
こんなことってあるんだなぁと思って、メールや手紙でやり取りしていましたが、ある日、用事があって札幌に行くことになりました。
久しぶりにO麻とKさんとお会いしたのです。感動でした。
Kさんは既に劇団を終了させていて、今はタレント養成所で若い子を育てているそうです。劇団の制作をしていたO麻は、別の会社でタレント業をしています。
O麻は、主宰のKさんからも劇団員からも、「麻姉」と呼ばれて親しまれ、頼られ、信頼され、絆をしっかりと持っていたようでした。
そんな姿を間近にして感激し、誇り高く思えたのです。もちろん、O麻がすごいんですよ。
O麻とはそれから何度か、札幌に行くたびにちょこっとでも、あえる時は会っています。
O麻はそろそろイイトシなので、早く結婚してほしくて、会うたびにロクシタンのきれいになれる美容セットをプレゼントしています。久しぶりに会った日に二人でロクシタンに行き、私からおすすめを見繕って差し上げました。
それはそれは大変喜んでくれて、その時のO麻は私をホテルまで送り届けてくれたほどです。
確か昨年末も、札幌駅に到着したらワインを片手に待っていてくれて、「さくら姉さん、大丈夫です。コルク抜きも用意しておきました!」とセットでいただきました。
マジか!!
感動して喜んで受取りまして、東京からのお土産をあげて、その日はそれで終わってしまったのだけど、O麻に会えたことだけでもうれしいのに、私がワイン好きだと知って、わざわざ用意してくれたその心遣いに感動しました。
お互いに忙しい日々を送っているし、もちろん同時に年もとっているし。
だけどO麻は、一生懸命生きている。O麻は一つ一つの仕事に手を抜かずに、プロとして誇り高く取り組んでいる。そんなO麻を見て、また刺激を受けている私がいる。
8月に札幌に行くことができなかったので、9月は行けるかな、と期待して、札幌のイタリアンの食事券をクーポンサイト(Hot Pepperともいう)で取得しました。
食事券は1500円分。ワインを一本あけそうな私ですから、この1500円分はナイス!と思っていたのですが、事情があって10月まで延期になりました。
でもこの食事券は9月しか使えません。
そこで、O麻に郵便で送りました。お小遣いに5000円プラスして、「ここでディナーしてきなさい。」と、なぜか命令口調で。
タレント業をしているO麻は、GWやシルバーウィークが稼ぎ時です。忙しく大変だったようです。
このイタリアンを目指して頑張れたかな。休みになった平日に彼氏とディナーに行ってきましたとご報告メールをくれました。なんとか楽しめたようです。
いい店なら良かった。ホッとしました。でもきっとO麻の事だから、悪い店でも良いところを探しだして「素敵な時間になりました」と報告するでしょう。そういう人なのです。だから、本当によかった、と思ってもらえるようなことをしてあげたいのです。
10月に入り、札幌にいきました。おばあちゃんのお手入れや何やらで3日間の滞在も忙しい私でしたが、3日目のお昼にちょこっと時間をもらって、O麻と会ったのです。
その時のO麻は…私の大好物の余市ワインを持って待っていてくれました。
しかもイタリア人が経営しているイタリアンチーズの専門店で、ワインに合う極上のチーズを用意して。まるでその場でディナーができそうなくらいの準備万端でした。
ワインはO麻が、チーズは彼氏がご用意くださったとのことで、二人がかりで素敵なお土産を用意してくれていたのです。びっくりしました。
荷物的にどうにもならなかったので、そのまま郵便局で東京の自宅に送りました。
身軽になった私たちはランチに行きまして、食事しながらいろんなお話をしました。
仕事のことや結婚のこと、Kさんは今フィンランドにいるらしいとか、イベントが増えて10月までなんやかやと忙しいとか。咲は何しに札幌に来たのか、とか。
やはり美容の話になりまして。環境さえ整えばO麻にもお手入れしてあげられるんだけど、時間も環境も限りがあるため難しい。
毎度同じもので申し訳ないんだけど、ロクシタンでもいい?じゃ、買いに行こうか。もう食事も済んだし。
そういうと一言。
「どこのあしながおじさんですか。」
と
O麻にツッコミ入れられました。
「いやいや、短足おばさんだから。」
と答えて二人で笑いました。
そのランチ代をO麻の分も支払うと、また、
「ごちそうさまでした。すみません。もう。どこのあしながおじさんですか。」
なので私も
「いやいや、短足おばさんだから。」
と言って笑う。
そのまま一緒にロクシタンに行きまして、お店の人がおすすめするクレンジングと美容クリームを購入。確か、合計18000円位かな。
お店の人が特典を色々つけてくれたので、それも全部まとめてもらいまして、お店の外に出たところで、「はい。」とO麻にプレゼントしました。
O麻はまた、
「どこのあしながおじさんですか。」
「いやいや、短足おばさんだから。」
とのやり取り。
どうやらO麻にとってのこの一言は、照れ隠しと感謝と称賛が含まれているようです。
私は謙遜と照れ隠しで答えてしまいます。
似てるなぁ。と思うわけです。
ロクシタンの正面に、PAULというおフランスのパン屋さんがあります。
最後にそこでおいしそうなパンをいくつか購入しO麻に持たせました。
喜んでくれたみたいです。良かったな。
O麻は誰に対してもそうですが、「こんな私なんか」というようなことを言います。
自分にはもったいないから、自分には似合わないから、自分なんかに・・・
そういって相手を優先させたり、譲ったり、相手の負担にならないように振る舞います。
何かしてもらうと、自分なんかにもったいない、と思うと素直に喜べず、申し訳なくなってしまいます。
そんな風にいつも頭を下げてしまったり、自分を卑下してしまう。
笑顔がかわいくて魅力的なのに、自分なんか、とか。
仕事ができて技術も知識もあるのに、自分なんか、とか。
彼氏にも素直に甘えられないで、付き合い長いのに、入籍の話を持ち出せないでいるのではないか?と、余計な心配をしてしまいます。
だから、素直に正直に、自分をもっと大事にして、自分をもっと尊重してほしいから、私は何かしてあげたくなってしまうのです。
彼氏の目の前できれいになろうとしている姿を見たら、きっと彼氏は何かに気づいてくれるのではないか、とか。
たまにはおしゃれして、雰囲気のあるディナーを二人で楽しんだら、もっとお互いの愛を大事に、前向きになってくれるのではないか、とか。
私の勝手な推測でありお節介であるのだけれど、私は何もしないではいられない。
生きてるうちに苗字が変わってほしい、と思ってしまう私は、どちらかというと祖母のような気分かもしれない。
ただそれだけのことなのに、O麻は私を「あしながおじさん」と比喩してくれました。
なんてもったいない言葉!と、今度は私が思ってしまった。
O麻が喜んでくれたおかげで、私は「あしながおじさん」になれたのです。
ありがとう。人生でこんな風に比喩してもらえることがあるなんて!
生きてみるものだね。長生きするものだね。まだ43歳だけど。
私はプレゼントの癖があって、ウグイス嬢の面接に来た女の子に目の前でやっていた物産展で蟹を一杯買ってプレゼントしたこともあったし。
「疲れた」が口癖の女性にフォアグラをプレゼントしたこともあります。
私にできることなんて何もないので、それくらいしか思いつかないのです。
誰かに何かしてもらうとうれしいじゃないですか。ただそれだけなんですよね。
O麻のおかげで、私は「あしながおじさん」になれました。
でも照れくさいので、自分のことは「短足おばさん」と呼びたいと思います。
感謝が尽きません。
お買い物中に見つけたもの
カエルのカメラマン
超かわいいです