口パクはアリかナシか?

テレビ「5時に夢中!」という番組で、中尾ミエさんとホリエモンさんの意見が二つに分かれていました。

 

テーマは「(歌手の)口パクはアリかナシか?」

 

中尾さんは「ナシ」、堀江さんは「アリ」と答えていました。

 

二つの意見は平行線で、論点がかなり遠いところで相違をおっしゃっていたので、どういうことなのかな?と考えてみたいと思います。

 

=「アリ」の立場で考える=

「アリ」という方は、「それでパフォーマンスが上がりビジネスになるならそれでいい」という意見が多いように思われます。

 

科学の進歩や時代の変化によって、音楽世界にも目覚ましい変化がおきています。

楽器の音も人の声もコンピューターなどを用いたマシンで自由自在に加工ができます。

それによって助けられている方も多いのではないでしょうか。

わかりやすいのが『効果音』ですよね。

 

若いころ殺陣をメインにしたアクションショーの司会をよくやりましたが、剣がぶつかる『シャキーン』とか、おなかをグーで殴って『ドスッ』とか、相手の右肩から左腰にかけて斜めに斬る『ドピュッ』て血が吹き飛ぶ音とか。

そういうのを「SE機材」を使ってボタン一つで出していました。

スーパーの屋上のロープで囲われただけのステージで行われる戦いシーンに、臨場感が増してヒーローはカッコよくうつります。

でもそのヒーローたちが「エイ!」とか「ヤー!」とか「くらえ!」とか、そういう声は、手の空いている人が自分でステージの裏から覗き、役者の演技に合わせて声を出していたのです。

ここはいわゆる、アナログ作業でした。それは毎回異なる演出に耐えうる機材や音声の素材がなかったからです。

 

その1~2年後、飛躍的に革新する技術のおかげで、そういう戦いに必要な音声も録音され、まるで司会のお姉さんとも会話をしているような演出が実現されました。

 

歌じゃないけどこれはまさしく「口パク」です。演技しているのに本人がしゃべっているのではなく、音源がしゃべっているのですから。

 

着ぐるみ業界ではよくある話です。これで演出効果が上がり、お客様もより一層の臨場感を味わってハラハラドキドキし、精一杯ヒーローを応援し、最後は「君の声援のおかげだよ」なんてヒーローに言われて舞い上がり、握手をして興奮冷めやらぬ日々を送る。

これはやはり、ビジネスとしては素晴らしいのではないかと考えるのもごもっともです。

何故なら、このセリフや効果音の音源と機材さえあれば、このステージは大量生産できるからです。役者は誰でもよくなり、観客がそのヒーローと心を一つにした疑似体験さえあればそれで成立するのです。

 

音楽の世界ではどうでしょうか。

一つ一つ楽器を持ち寄り素晴らしい音楽作品を完成させ、それを録音する。そして、本人がその音源をCDやらMDやらなにやらのファイルにして持ち歩く。

プレイヤーとスピーカー、マイクさえあれば、その場所がコンサート会場になるのです。

楽器を弾くミュージシャンもハーモニーを聞かせるコーラス隊も、すべてCD音源の中に入っています。連れて歩く必要はありません。それなら人件費も要らず、設備も要らず、歌手が歌えばそれでいい。

なんと手軽なのか。これは「コンサート会場」が大量生産できる、という風に考えても良いのではないかと思います。

ではその音源の中に歌手の歌声も一緒に吹き込んでみましょう。コンピューター機材の力を借りて、その歌声がとても美しく聞こえるように加工します。

これはそのまま音楽CDとして、今では常識の一つのようになって販売されています。

購入して家に帰れば、いつでもどこでも、その美しい歌声や音色が私たちを幸せにしてくれます。素晴らしいことです。

 

さて。あるコンサート会場にて。その録音された本人の歌声に乗せて、本人は声を出さず口だけ動かしています。魅了する振付と演出にドキドキしている客席では、本人が口パクかどうかすら忘れ、その音楽と観る演出の視覚効果に感激しています。

例えばポールダンスやエアリアル。例えばジルバやサンバの振付。例えばイリュージョン。

その曲のイメージやテーマに合わせて繰り広げられる派手な演出は、既にもう、口パクかどうかなんて忘れ去ってしまった。

 

これは、堀江さんのおっしゃっていた、「それでパフォーマンスが上がればいいんじゃない?」ということなのかな、と思います。

 

但し、この歌手の場合、このような演出をしながら正しい発声で正しい音程を保ちながら歌の世界を表現できているのか?となると疑問です。

しかしそこは誰も求めていないのかもしれません。歌詞や音楽の繊細な部分は録音されている完璧な歌声の音源で自宅で楽しむことができるのだから。

いいえ。そもそも、そういう「歌唱力」は必要ありません。加工修正され美しい歌声になっている歌の音源をスピーカーから流し、あたかも歌っているように見せれば、それはそれで、ダンスや演出に集中しても心配いらないのです。

 

歌手も人間です。風邪をひくときもあれば、二日酔いの日もあるかもしれません。

何かの理由で声が思うように出ない日もあるでしょう。それでも口パクができれば、

コンサートは休まなくていいのです。

音楽の世界をもう一つ手軽にし、娯楽の域をはるかに拡大させた、一つの進歩が「口パク」なのかもしれません。

そう考えると、確かに、パフォーマンス全体として満足させてもらえるのであれば、歌手が本当に歌っているかどうかなんて、小さな小さなことなのかもしれません。

 

 

=「ナシ」の立場で考える=

 事実、歌手として大活躍している中尾ミエさんは、「絶対ナシ!」と仰っていました。

 

パフォーマンスをとても重視されているような日本のPOPS界で、大変素晴らしい歌声を持っているアンジェラ・アキさんという方がいます。そのアンジェラ・アキさんのコンサート映像を拝見したら、武道館の客席にぎっしりとお客様がいて、武道をやるあの真ん中の板目の床のところにピアノが置かれ、ポツンとアンジェラ・アキさんご本人が座っていました。

360度見上げる角度でお客様がいて、その、まるで竜巻の渦の一番下にいるような場所で、圧倒的な存在感を持ったアンジェラ・アキさんが、一人残らずお客様を魅了していました。たった一人で。

そこには、ポールダンスもイリュージョンもありません。歌声一つでした。

自分でピアノを弾き、自分の体から声を出して、歌いあげていました。

そこにあったものは、『感動』です。

 

はたまた、オーケストラのコンサートでは、お楽しみコーナーのような演出で観客を楽しませてくれますが、特にど派手な演出というよりは、やはり一人一人が奏でる「音」を耳を澄まして楽しむ、という、「音楽を知っているからこその楽しさ」を味わえます。

 

アイドル『モーニング娘。』さんは、「口パクをしない」というこだわりがあり、どんなに激しいダンスをしていても、絶対に口パクはありません。

そのせいか、息を切らしている音もマイクに入ったり、歌を一生懸命うたってダンスの振付を全力で表現するあまり骨折したり、というハプニングも今までにありました。

そんな娘さんたちを観に行く観客の方たちは、毎回異なる息遣いに気づいたり、歌っている一人一人の、その日の心境や、同じ曲でも昨日と今日で微妙に訪れる変化などにも気づいたり、そういうところからもその楽曲の素晴らしさを体感しているようにも見受けられます。

また、「歌唱力」と言われる音程やリズム感の正確さ、滑舌の良さ、歌詞一つ一つを伝える表情、抑揚…これを生で観て感じることで、より一層その楽曲の世界に引き込まれていきます。

 

つまり、「歌唱力」は千差万別であり、すべての歌手が様々な歌唱力をもって音楽を表現する。せっかく目の前にお客様がいるなら、今持っている自分の歌唱力に更に磨きをかけ、『自分』よりも「音楽」を伝えたい。だから、「この歌手じゃなくっちゃ!」という特別な存在として、唯一無二の歌手が誕生するのでしょう。

 

そういうところに価値観を置いてみると、「口パク」は「ナシ」になるかな、と思います。

逆に言えば、「歌唱力」が「音楽で得られる感動」を引き起こす原動力になっており、その歌手がどのような「歌唱力」を持っているかによってその音楽から得られる「感動」の種類や質や重さなども異なり、聴いている人はどのような感動を求めているかによって好みや相性が分かれる。

レベルの高い「歌唱力」を持っているほど、観客や聴く人たちの求めているものは何かを問わず広く応えていくことができる。

それは「芸術」という分野の一部にも入ることができる。

 

そんな風に考えると、やはり、「歌手」という職業を選ぶ人には、それなりの歌唱力は備えていてほしいし、歌の世界を十分に味わわせてほしいと思う。そんな時に「口パク」で演出されてしまうと、どの程度の歌唱力があるのかわからないし、もちろん「音楽で得られる感動」は得られないと思う。

 

=咲の結論=

「ケースバイケースでニーズに応えればよし。」です。

 

「口パク」は歌唱力以外で何かを表現する時に、音楽を一つのアイテムとして用いられるのにとても便利で手軽なものです。

口パクは「感動<娯楽」「音楽<パフォーマンス」「歌唱力<演出力」という式となり、どちらを求めるかによって「アリ」にも「ナシ」にもなります。

 

ただ、「歌手」という職業であるならば、「歌唱力」で勝負してほしい。

「口パクでもよし」であるならば、「歌手」ではなく「パフォーマー」という職業だと考えるのが良かろうと思います。

 

あの激しいダンスをしながら難しい楽曲を歌いあげるモーニング娘。を見ていると、「あれ?口パクしなくてもやればできるじゃん?」と思ってしまうことがあります。

歌唱力を鍛えられるので、卒業後にミュージカルや歌手を続ける人もいます。

一人になると「歌割」という概念がなくなるので、派手な演出や振付よりも、しっかり「歌う」ことに重視するようになるようです。

 

口パクで演出にこだわっていた歌手の人は、もはや「初音ミク」さんなどに代表されるようなボーカロイドに市場を奪われれしまうのではないかと思ってしまうこともあります。 それはそれで、その市場がにぎやかになって、「キャラクター重視」の人にとってはこれ以上の面白い勝負は無いのかもしれません。

 

歌唱力を持ちつつ「見せる」歌手になってくれたトップバッターは、ピンクレディーだと思います。レベルの高い歌唱力を持ち、どのような楽曲でもその音楽の世界を表現してくれました。振付も衣装も度肝を抜くものが多かった。

そんなピンクレディーは「感動」もくれました。歌唱力は圧倒的な実力があるのです。

 

音楽に対する考え方、価値観が大きく変化してきました。「口パクは認めない」という人もいらっしゃるようですが、それはあくまでも「歌手」としてとらえているからではないかと思います。

音楽の世界でも、ロックは音楽じゃないとか、デスメタルは認めないとか、オペラなんて、とか、お互いが受け入れがたい価値観を持っていてぶつかることもあります。

それでもそれは、やはり千差万別であり、好きか嫌いか、合うか合わないか、その程度なのではないでしょうか。

 

過去にある女性タレントさんのイベントの司会をしました。モデルからグラビア、ちょっとセクシーな写真集とアイドルみたいに音楽CDまで発売されていて、その写真集の発売記念イベントで司会をしたんです。きれいな方で男性ファンがつめかけました。30分のトークショーを2回行いましたが、その中で最後に歌を歌ったんです。

「歌入り」の音源が音響スタッフさんへ渡され、イントロが流れ、歌いだしましたが、マイクの音はゼロまで下げられ、そう、口パクでした。

その口パクは・・・歌詞を覚えていないために口の形と歌があっておらず、発声していないから笑顔でやりすごされ・・・「口パクです」と言っているみたいでした。

そうきたか~~と思いましたが、それでよかったそうです。そういう方もいるんです。なぜならその人は、歌手じゃないからです。ご自身で「私は歌手じゃないから」とはっきりおっしゃるのだから、全く問題ありません。

 

そういうことです。